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名古屋地方裁判所 昭和36年(レ)6号 判決 1961年11月10日

判  決

岡崎市明大寺町字川端七番地

控訴人

加藤徳治

名古屋市熱田区森後町一丁目二十一番地

被控訴人

林俊一

右同所

被控訴人

高羽たつ

右同所

被控訴人

西川武

右三名訴訟代理人弁護士

中根孫一

右当事者間の昭和三六年(レ)第六号損害賠償請求控訴事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を取消す。

被控訴人等の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は一、二審とも被控訴人等の負担とする。

事実

控訴人は、主文と同旨の判決を求め、

被控訴人等訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

(中略)

控訴人は、被控訴人等がその主張のような金員を弁護士に支払つたとしても、それに対し、控訴人のなした執行文付与申請行為は直接の原因たるものではない、と陳述し(中略)

理由

一、控訴人が(イ)被控訴人林俊一に対する名古屋簡易裁判所昭和三二年〇第一〇号調停調書につき、(ロ)被控訴人高羽たつに対する同簡易裁判所昭和三四年(ユ)第一四四号調停調書につき、(ハ)被控訴人西川武に対する同簡易裁判所昭和三二年(ユ)第九号調停調書につき、いずれも賃料不払を理由に、執行文付与申請をなし、右については昭和三十三年十一月十六日、(ロ)、(ハ)については同月十二日、執行文の付与を受け、これに対して被控訴人等が、賃料は控訴人が受領を拒んだので供託しており不履行はないから右執行文付与は不適法である、として昭和三十四年十一月二十三日、右簡易裁判所に強制執行停止申請をなしてこれが執行停止決定を受け許可され、更に同簡易裁判所に、執行文付与に対する異議の訴を提起して、昭和三十五年四月六日、被控訴人等勝訴の判決を得、右判決が確定したことは当事者に争いがない。

二、更に、証拠によると、被控訴人等は、前記強制執行停止申請並びに執行文付与に対する異議の訴を弁護士中根孫一に委任し同弁護士に対し、強制執行停止申請手続の手数料として各金五千円、異議の訴提起の手数料として各金一万円、その勝訴報酬金として各金一万円づつの支払をなした事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。

三、右各金銭の支出が、被控訴人等にとつて財産上の損害であることは言うまでもないが、控訴人は、右損害の発生と控訴人のなした執行文付与申請との間には相当な因果関係が存しないと主張するから、この点について判断すると、土地などの不法占拠または身体障害など通常の不法行為に困つて生じた請求権を訴求するために要した弁護士費用支出の損害が、当該不法行為との関係においては、第二次的、間接的な損害であることは否定し難く、そこに法律上の所謂、相当因果関係が存するか否かについては議論の余地があるが、不当な訴訟提起などに対応し、自己の利益を擁護するため弁護士に訴訟委任することは、弁護士強制主義を採らない我が国においても社会上一般に行われ、且つ通常の防禦手段として是認されるべきことであるから、その訴訟委任に要した費用支出の損害は、右不当な訴訟提起の直接の結果であり、従つて両者間に相当因果関係が存すること明らかであり、これについては異論あるを聞かない。

而して執行文付与申請は、訴訟提起の場合に比し強制執行開始の端緒としてより緊迫した利益侵害の脅威を相手方に惹起させる行為であるから、右申請を不当と信ずるに足る理由を有する相手方が、これに対し、強制執行停止の申請をなし、執行文付与に対する異議の訴を提起することは勿論法律上認められる方策であり、更にそのため弁護士に訴訟委任することも、通常且つ一般的な防禦手段として是認されるべきものであること前述のとおりであるからこれに要した費用支出の損害と右原因行為たる執行文付与申請との間には相当な因果関係が存すると言わねばならない。

四、さて、民法上、一般的な不法行為が成立するには、前述の損害の発生及び、行為との間の相当因果関係の存在のほか、その原因行為が違法であり、且つ行為者には故意、過失などの責任条件が存しなければならないこと言うまでもない。

そこで、次に被控訴人等主張の前記損害の原因行為たる控訴人のなした執行文付与申請が不法行為としての違法性を具備しているが否かにつき考えてみると、違法なる行為とは、結局、それが公序良俗に反し、社会通念上容認出来ないものを言うが、本件控訴人がなした行為が右述の程度の違法性を具備しているとは認め難い。

以下その理由を述べると、成立に争のない乙第一乃至第四号証によれば、控訴人と被控訴人林俊一との間には、昭和三十二年七月二十二日、被控訴人高羽たつとの間には同月八日、被控訴人西川武との間には同年六月二十五日、いずれも控訴人所有地を従前どおり被控訴人等に賃貸する旨の調停が名古屋簡易裁判所において成立し、右調停条項の各一項(二)には、賃料は第一次的には控訴人が毎月末に被控訴人等の住所に赴いて取立てるが被控訴人等がこれを支払うことが出来ない場合には翌月五日までに控訴人方に持参または送金して支払う旨、(三)には賃料は全租公課の増減、土地の価格その他一般経済事情の変動に応じて増減する旨、二項には三ケ月分以上の賃料延滞があれば賃貸借契約は当然解除となる旨が規定されている事実が認められ、また、(証拠)を総合すると、昭和三十三年四月頃控訴人が賃貸土地の固定資産税が増額になつたことを理由に賃料増額の請求をなし、同年七月頃、当事者間で右増額について協議をなしたが話合がつかず爾後控訴人側においては、増額賃料の支払を受けられる見込がないとして取立に行かず、被控訴人等側においては、控訴人に受領の意思がないとして従前の賃料額を供託した事実が認められる。

そこで先づ被控訴人等のなした右供託が違法であるか、換言すれば控訴人のなした本件執行文付与申請が理由あるものかどうか考えてみると賃料増減について規定する前記調停条項一項(三)は、借地法第十二条の地代、借賃の増減の請求権の規定に照応するものであるから仮に右調停条項が存しなくとも賃料の増減請求権は法律上認められており、しかもこの請求権は理論上は裁判外においても行使することが出来る形成権とみるべきであるから、控訴人において一定の事由に基いて賃料の増額請求をなした場合は、その額が客観的に適正である限り、賃借人たる被控訴人等の承諾を要せず、直ちにその効力を生ずるものと言わねばならず、従つてこの点について執行文付与に対する異議の訴の受訴裁判所が、その判決理由中に示した、賃借人が承諾せず、協議が整わない場合には賃料増額の請求はその効力を生じない、との趣旨の見解は採用することが出来ない。

もとより、賃料増額に際し、当事者が協議してこれを決定することは望ましく、また賃借人がこれに応じない場合には結局、訴訟上、その適否、従つて有効無効が判断されるべきではあるが、右増額請求権行使の効果については、右述のように賃貸人の意思表示により直ちに生ずるものと解さざるを得ない。

然しながら、他方、増額請求があつた場合の賃借人の賃料支払の責任の限度については別個の観点からこれを考えなければならない。

即ち、賃貸人から賃料増額の請求があれば、その効力は、それが適正である限り直ちに生ずること前述のとおりであるが、若しそれが賃借人の主観に不当と映じた場合はその請求額全額を提供しなければ債務不履行の責任を負うか、賃貸人が受領を拒んだ場合、その請求額全額を供託しなければ債務消滅の効果は生じないか、それとも賃借人において相当額の賃料或いは従前の賃料を提供または供託すれば足りるかについては見解は分れているが、当裁判所は、前記のように当時間間に当事者間に増額請求の適否、その効力について争いがある場合には、それは結局訴訟上判断されるべきものであるから、それまで賃借人に請求額を提供または供託せよというのは難きを強い、酷に過ぎると思われる、との見解の下に、後者即ち賃借人は相当額、少くとも従前の賃料を提供または供託すれば足りるとの考えを採る。

従つて、控訴人のなした賃料増額請求は、その額が適正である限り、意思表示到達と同時にその効力を生ずるが、その適否について公権的な判断がなされるまでは、被控訴人等は、少くとも従前の賃料を提供または供託すれば不履行の責任または債務を免れるものであり、被控訴人等が前記認定の事情により、控訴人の増額請求後、従前の賃料を供託した事実が認められる以上、その供託は適法であり、従つて控訴人のなした執行文付与申請は、前記調停条項二項の解除条件成就、即ち三ケ月以上の賃料不払による賃貸借契約の当然終了の事実が存しないのに拘らずなした理由のないものと云わざるを得ない。

五、然し訴訟提起、または本件のような執行文付与申請が不法行為として違法性を具備するには、それが理由がないとの一事をもつて足るものではないことは云うまでもない。

即ち、右訴訟行為が不法行為となるには、それが理由を欠くとの事実のほか、更に法律上認められている訴提起などの訴訟行為をなす権利の濫用であることを要するものと解する。

何故なら、憲法第三十二条の規定をまつまでもなく国民は訴を提起する等の方法で裁判を受け、これを利用する権利を有しこの権利は、その訴訟行為が適法性または理由を有するか否かにより制約されるものではなく、ただ、それが不適法または理由を欠けば却下または棄却の裁判を受けるに過ぎず、そこにこの権利保障の消極的意味が存するが、若しこの権利が濫用された場合には最早権利行使者との保護を受け得ないばかりでなく民法上不法行為者としての責任を負わねばならぬこと、法の一般理論に照し、多言を要しない。

而して、如何なる場合に、この訴訟行為をなす権利の濫用があるか、と言えば、それは結局、権利濫用の一般的見地から考えらるれべきものであるが、訴訟行為をなす者が自己の主張が理由のないことを知りながら、専ら相手方を害し、また自己に不当な利を得ることを目的として行動する場合に、最も顕著にこの権利の濫用があると思われる。

そこで、本件控訴人の執行文付与申請が右述の点において、その権利の濫用であるかどうか判断すると、前記認定のとおり控訴人は固定資産税の増額を理由に、本件賃料の増額請求をなしたのであるが、同人が、前述のような右増額請求は、その増額賃料が適正である限り直ちに効力を生ずるが、それについて公権的判断があるまでは、被控訴人等において従前の賃料を提供または供託すれば債務不履行の負任または債務を免れるものであるとの法律的知識を有していたとの事実は証拠上認められず従つて同人が、自己が適正と信じた増額請求により、被控訴人等に当然その額についての賃料支払義務が生じ、その支払がない以上債務不履行が生じ、それが三ケ月継続すれば、前記調停条項により賃貸借は当然終了し、強制執行をなし得ると判断したとしても別段奇とするに足らず、むしろその方が自然であり、加うるに、当審証人平松圭一郎尋問の結果によれば、控訴人は、右執行文付与申請に際し、司法書士たる同証人から、被控訴人等の供託は不適法である、との意見を聞いた上で、その手続を同人に依頼した事実が認められるから、控訴人が自己の申請が理由のないことを知悉しながら専ら被控訴人等を害し或いは不当に自己を利する目的で右申請をなしたとは認められず、また賃料増額請求がなされた場合、その確定訴訟または調停が先行すべきであるとの理論上の要請は存しないから、この観点からみても控訴人の右申請が著るしい不当性を帯びるとは思われず、他にもその違法性を肯認するに足る事情は存しない。

六、そうすると、控訴人の本件執行文付与申請は、その申請の理由を欠き、従つて賃貸人の採るべき方策としては多少軽卒且つ不穏当であつたことは否定出来ないが、不法行為としての違法性を完全に具備してはおらず、従つてそこには不法行為の成立はないから、被控訴人等の前記損害は控訴人の右申請行為に困つて生じたものであること前記判示のとおりではあるが、これに対し控訴人に不法行為者としての賠償責任を負わすことが出来ないことは、不法行為成立の他の要件、即ち控訴人に故意過失などの責任条件が存したか否かを判断するまでもなく既に明らかである。

よつて被控訴人等の本訴請求は、いずれも失当であるから、これを認容した原判決を取消し、右請求はいずれも棄却することとし、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条、第九十三条第一項本文をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

名古屋地方裁判所民事第三部

裁判長裁判官 木 戸 和喜男

裁判官 川 端  浩

裁判官 上 杉 晴一郎

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